水出浩司 野球部長が語る
「オレンジ色のスタンドは、日立製作所の誇り」

日立製作所野球部の創部は1917年。日本で最古参の、105年もの歴史を持つ野球部です。
水出浩司野球部長は計約20年、野球部に関わり、近年の日立製作所野球部を支えてきました。
日本選手権の開幕を前に、日立製作所野球部の意義と、これからも引き継いでいくべくスピリットについて聞きました。

今年の都市対抗北関東大会で優勝し、選手と一緒に記念撮影をする水出部長(前列左から6人目)

 

節目の年に優勝を狙う

 2022年は日立製作所野球部創部105年、和久井勇人監督の2期目の就任10年(通算では14年目)という節目の年です。創部100年目の2016年に、日立製作所野球部は都市対抗で過去最高の準優勝を成し遂げました。2022年は日本選手権で、優勝を狙っていきたい。

 

水出浩司 野球部長

 

実は私にとっても2022年は節目です。2012年に野球部の副部長となり、続いて部長になったのですが、副部長就任からちょうど10年だからです。

 

日立製作所野球部の良さ知った一戦

最初に野球部に関わったのは1990年。日立工場に配属になり、野球部後援会の仕事をすることになったのが始まりです。
初めての都市対抗だった1990年の1回戦(×日本石油)が、3-5で2点を追う9回裏、秋元邦夫選手が逆転のサヨナラ3ランを打って勝つという、劇的な試合でした。東京ドームの外のテントで日立製作所の受付をしていた私の耳に、球場から「ワァーッ!!」という大歓声が聞こえてきました。

1990年の都市対抗1回戦。9回裏にサヨナラ3ランを放ち、ホームインして仲間にもみくちゃにされる秋元邦夫選手(手前のヘルメットの選手)

 

そして、試合が終わって球場から出てきた社員やファンの人たちが「大変な試合だったね」と大興奮していました。スタンドでみんなで社歌を歌い、同じ会社の一員でもある選手の一打にみんなで喜ぶ。あの日、日立製作所野球の良さを知りました。

 

ベストゲームは、2016年都市対抗1回戦

以来、日立製作所の試合を数えきれないほど見てきましたが、ベストの試合はやはり、2016年の1回戦(×三菱重工神戸・高砂)。延長戦になり、12回表に相手に1点取られ、2-3に。その裏に、2アウトから、中村良憲選手が逆転サヨナラ打を放って勝利。野中祐也選手が決勝のホームを踏む瞬間を、今でも覚えています。この後、日立製作所は決勝まで進んで、創部以来、初めて準優勝しました。

2016年の都市対抗1回戦は延長戦に。1点を追う12回裏、2死満塁で中村良憲選手が安打を放ち、野中祐也選手が生還してサヨナラ勝ち。この年、日立製作所は創部以来初めて、決勝まで進みました!

 

地域、社内で愛される日立製作所野球部

2016年は野球部創部100年の年で、初戦から日立製作所スタンドには2万人以上が詰めました。あのオレンジ色のスタンドこそ、どこのチームにも負けない、日立製作所の誇りです。

オレンジ一色の日立製作所スタンド。この熱気は、どこのチームにも負けません!·

 

 

それに、日立製作所野球場にはオープン戦や練習にも、大勢の地域の人が見に来て選手に声をかけたり、チームを応援してくれます。

日立製作所野球場には、オープン戦にもたくさんのファンが詰めかけます

 

地域のファンに愛され、社内の皆さんに支持していただいている。そして野球部は、グラウンドから全力のプレーでスタンドに恩返しをする。ここに、野球部の意義があると思います。これは創部以来105年変わらない、日立製作所野球部の伝統であり、今後も引き継がれるスピリットです。

 

 

また、日立製作所はスタンドをまとめている、応援団も魅力的です。
ちなみに私は応援歌のなかでは、「かちどきあげよ」と「ダイナマイトマーチ」が、”これぞ日立製作所応援”という感じで、特に好きです。

応援団男子リーダー 田中暁主将

 

スタンドを盛り上げるブラスバンド

 

華やかに、シーズンを締めたい

今季の野球部は、和久井監督のもと、ベテランと若手がうまく融合して、守り勝つ野球を実践できています。ベンチから見ていると、投手陣からは「1点もやらない」、攻撃陣からはは「投手を楽にしてあげたい」という、お互いが、チームを思いやる気持ちがひしひしと感じられます。

日本選手権は今季最後の大会。優勝旗であるダイヤモンド旗を勝ち取り、華やかにシーズンを締めくくりたいと思います。